皆さま おはようございます
元天皇誕生日ですね。
「今日は祝日だったか!」とぬか喜びした人いませんか?はい、私です(笑)
朝からションボリとした気分で出社ですよ・・・最悪ですね。行きの車内では週末の模型整備について考えて気持ちを整えようと思います。かえって迷ってしまいそうですが・・・。
さて今回ですが、ブルートレイン「ゆうづる」です。東北夜行特急列車で、東北本線経由の「はくつる」と常磐線経由の「ゆうづる」が双璧をなしていました。いい時代でしたね。
名列車「ゆうづる」
東北本線の電化延伸につれ優等列車が設定され、1964年に東北本線経由青森行きの「はくつる」がデビューします。「はつかり」に次ぐ北海道連絡列車として運用されます。翌年には盛岡まで電化され、常磐線経由の夜行列車「ゆうづる」が設定されました。北海道へ向かうには青森から青函連絡船に乗船するルートが主流だった時代です。
1967-68年と常磐線、東北本線が相次いで全線で電化されたことにより583系が登場、「はつかり」は「はくつる」と共通運用となり置き換えられます。「ゆうづる」は一部列車が583系化され、ダイヤに余裕ののある常磐線で増発が図られていき電車3往復、客車2往復まで増えてゆきました。
客車は20系が使用されていましたが、東京口ブルトレが24系25形に置き換わったことから捻出された24形が「ゆうづる」に回ってきました(20系は急行用に格下げされています)。北海道へ向かう乗客数は1970年代前半がピークで、「ゆうづる」も大車輪の活躍を見せ最大7往復まで設定を増やしますが、寝台車のメンテが間に合わず、挙句583系に至っては座席車のまま運用されました。相次ぐサービスダウンと値上げにより国鉄離れが加速し、ついには航空機に逆転されてしまいます。
徐々に設定本数が減り、東北新幹線の開業が東北特急に激変を巻き起こすことになります。1985年・・・もうこの頃には使命としていた北海道連絡も影が薄くなり、航空機に取って代わられた感がありました。しかし、1988年から運用を開始する「北斗星」のテストケースとして「ゆうづる」が抜擢され、「北斗星」で使用される客車が組み込まれました。オロネ25-500(ツインDX)がその例で、一般の開放寝台も組み込まれましたが従来車と区別するために金帯が巻かれていました。
「北斗星」の登場は「ゆうづる」にとっては引導を渡されたようなもので、使用されていた24系客車は「北斗星」用に捻出、客車運用は終了され583系電車のみとなりました。1993年には1往復が東北本線経由の「はくつる」に移行され定期運用は終了となりました。
模型はKATOがズバリを
20系・24系24形の「ゆうづる」編成はKATOが製品化しています。
24系は少し前に再販されましたが市場から消えつつありますね・・・20系は見掛けなくなりました。気になる方は見つけ次第(常識的な価格であれば)入手されることをお勧めします。定期的に再販されると思いますので待つのもアリですね。当方では、先日の再販で24系を入手しましたが(実は2度目)、室内灯のみ純正クリアを装着したのみでまともに運用していません。早く何処か広いところに持ち出して走らせてやりたいです。
牽引機はEF80かEF81で。ローズピンクの車体が最適です。
安定のKATOか、トルクのTOMIXか。
25形を寄せ集めて「北斗星」以降直前の編成を仕立てても面白いですね!この場合、EF81は赤い東日本色でもいいかと思います。1960年代まで遡るとC62蒸気機関車ですね。
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乗車は叶いませんでしたが、たまに沿線で赤いヘッドマークを灯した583系を見掛けたのがよい思い出です(私が沿線に越してきたのは残念ながら減退期でした)。
日本の高度経済成長期を支えた名列車です。
上野口東北方面への夜行列車の代名詞で、新幹線の登場により衰退しましたが一時期を大活躍で支えたことは間違いありません。夜行列車の印象が強い名称ですが、いつか「ゆうづる」「はくつる」が復活してくれることを期待しています。
今回はこの辺で・・・
次回もお楽しみに~
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