皆さま おはようございます
台風はいかがでしょうか?もう熱帯低気圧に変わったようですね。
昨日今日と地元で大きなお祭りがやっているのですが今日も開催とのこと。昨日、嫁さんと子供は夕方から出掛けて行きましたが私は疲れてたので留守番してました。今日はビール飲みに行って来ようかな?(笑)
さて今回は、ブルートレインはやぶさであります。
昨日のEF65-501に触発されて1000番台が見たくなりました。
日本最長距離特急 はやぶさ
幼少の頃、東京ー西鹿児島という日本最長距離を往く寝台特急に心ときめきました。
ブルートレイン はやぶさであります。熊本経由のはやぶさと大分経由の富士。この時代は富士が最長距離でしたが、富士が宮崎止まりになったことで最長距離の座を奪還しています。
1950年代のことですね・・・日本経済は好景気に沸いて国鉄の輸送量も比例して伸びていました。
東海道本線の全線電化に伴い東京ー博多間を結ぶ寝台特急あさかぜがデビューしました。それまでは関西地区での乗降を考慮し、東京駅を昼に出て大阪界隈を夜に到着、そして九州に向かうダイヤでした。が、東京駅を夕方に出発し翌午前中には博多駅に到着するダイヤが好評を博し、その後のブルトレの礎となります。
非冷房の寝台・座席車でしたが、あさかぜに全車冷房付きの20系が採用されると、その車体スタイルからブルートレインと呼ばれ「走るホテル」と絶賛されることになります。博多行きのあさかぜ、長崎行きのさくらと20系化されますが、遅れてはやぶさも20系化しブルートレインの仲間入りを果たします。
ライバル?寝台特急 富士
そして富士ですね。
はやぶさデビューから遅れますが、愛称自体は由緒あるもので昭和初期の列車に採用されていました。あと151系の特急にもあったような?!しかし東海道新幹線開業に伴い特急電車は廃止されています。そしてブルートレインにその名を受け継がれ、東京ー大分間の寝台特急として活躍することになります。その後、大分から西鹿児島まで拡大し、それまではやぶさが最長距離を走破していましたが富士に代わることに!1980年代に宮崎止まりとなるまでの間その座を守っておりました。
「走るホテル」と謂われた20系ブルートレインですが、グレードアップが望まれるようになります。ベッド幅を広げた14系や24系に置き換えられ、3段だったベッドも2段になり快適性が求められました。長距離の旅がより快適なものになるよう、ロビーカーやソロ、シングルデラックスなどホテルサービスに近しい設備が導入されました。これはファンにもタマらない変化だったと思います。
模型はTOMIXの銀帯編成で揃えました。
全車室内灯入り、エヌ小屋カーテンやトイレタンクも取り付けています。15両化ともなると相当な重量感のため、動力付きのカニ24が欠かせません(0番台カニの動力が不調で困るのですが・・・)。平坦なレイアウトでは問題なく走行していますが勾配ではどうでしょうね。まだ登坂力テストをしたことがありません。これだけの長編成ですから、雰囲気のいい夢空間などのレイアウトに持ち込んでみたいものです。
九州ブルートレインは廃止されて何年経ったでしょうか・・・
それでも色褪せず心に残り続ける列車ってスゴいですよね。模型で楽しむしかないのですが・・・九州ブルトレが元気だった1970-1980年代が思い浮かびます。間近で見れた訳ではありませんが、図鑑などを見ては心トキめかせていた懐かしい時代ですね。今の子供達がトキめかせる列車ってなんでしょう?新幹線でしょうか?!
列車の旅を味合わせてあげたいですね~
今回はこの辺で・・・
次回もお楽しみに~
コメント
おはようございます。
朝から2連発のコメント失礼します。(笑)
「西鹿児島」。この駅名はなくなってしまいましたから、今の子供たちに、「西鹿児島」と言っても、
ピンと来ないのではないでしょうか…。
小学生の頃のTV番組で「いい旅チャレンジ20000km」という番組を放映していました。
タレントさんが「ブルートレイン」に乗車して
車内リポートや窓からの景色、下関での機関車交代シーンのレポートを、テレビにへばり付くように見ていました。(笑)
真夜中の東海道線を走るEF65-1000の汽笛の音は、テレビとはいえしっかりと頭の中にインプットされています…。
クモハ489-901さま
こんばんは
コメントありがとうございます
あ、今では鹿児島中央でしたっけ?!
24系の幕に書かれた西鹿児島の4文字をノートの片隅に真似て書いたものです(笑)
機関車の汽笛にはシビれますよね・・・先日乗ったキハ110の汽笛も素敵でした~
ブルートレイン!!
堪りませんねぇ~。小学生のころにブームがあり、これはあこがれの列車でしたからねぇ~。
特に私は大阪にいたので、このころは確か大阪発の夜行列車は583/581が多かったと記憶しています。
ブルート連と呼ばれる客車列車は東京はつで、大阪では見ることがむつかしく・・・やっぱり夢の列車でしたねぇ~。
それに、東京はブルート連はまだ日がある夕方初でしたが、大阪はもう日が落ちた夜の発車で、、、小学生の身でそんな遅い時間に外に出ることは憚られ・・・やはり見ることができませんでしたから、思いは募る一方でしたよ。
大人になってから、、、ようやく数度、乗ることが叶いましたが、もっと乗りたかったなぁ~と・・・
ビスタ2世さま
こんばんは
コメントありがとうございます
小学生の頃はブルトレブームでしたよね。
私も母の実家に14系みずほで行った記憶が未だに鮮明に残っています。一生忘れないでしょうね!
大人になってからもっと乗れば良かったのですが・・・最初で最後になってしまいました。残念です。