閑話小話 128 北の連絡駅 青森へ 寝台特急「ゆうづる」

皆さま おはようございます

今週も一週間頑張っていきましょう~
週末から連休ですね!私もカレンダー通りに休みをいただく予定ですので励みにしたいと思っています。が、この状況では遠出しにくいですよね・・・何もしないのは子供が可哀そうですし、とは言っても派手に外出はしたくないし悩ましいです。

さて今回ですが、寝台特急「ゆうづる」です。
当ブログでは何度も登場させていますが、定期的に見たくなるイラストのトレインマークなんですよ。夜の上野駅が賑やかだった時代のころの話です。

寝台特急「ゆうづる」

東日本色のEF81と往年のローズピンクEF80

1960-70年代のことですね。
東京(上野)ー札幌への移動は鉄道が主流でした。上野ー青森間を往く特急は昼夜問わず増発され、中でも常磐線経由の寝台特急「ゆうづる」は先輩格の「はつかり」「はくつる」を凌ぎ、最大7往復が設定されるなど大活躍を見せました。

「ヨンサントウ」と呼ばれる昭和43年10月の改正においては、東北本線全線の電化が完了し「はつかり」が常磐線から東北本線経由に変更、583系電車に置き換えられました。「はくつる」も「はつかり」と共通運用で電車化されています。「ゆうづる」も既設のスジを電車化し、新設したスジは客車で運行と2往復体制となります。以降、急行格上げなどで着実に本数を増やしていきました。当時の東北本線にはスジに余裕がなく、寝台特急は常磐経由に集中し運行されたんですね。

1970年半ばには集中電源方式の24系寝台客車が関西発でデビューし、遅れて東京口の寝台特急に投入され始めました。24系25形が投入され始めたところで捻出された24系24形が「ゆうづる」に投入され20系を置き換えていきます。

1970年代が利用者数のピークでありましたが、1980年代には値上げや飛行機の影響により形勢逆転し、東北新幹線開業がとどめとなりましたね・・・最大7往復あった「ゆうづる」も5往復、3往復と減便し、北海道(青函連絡船)連絡の使命も影が薄くなります。

民営化後の1988年には青函トンネルが開業し、上野ー札幌間を結ぶ寝台特急「北斗星」がデビューするのですが、その「北斗星」用の客車の試験運用を「ゆうづる」で行うこととなりました。開放B寝台だけでなくオロネ25-500「ツインDX」も編成に組み込まれ、その金帯が編成を華やかにし有終の美を持たせました。

客車を「北斗星」に引き継いだ「ゆうづる」は、客車運用がなくなり583系電車による2往復だけが残りました。しかし、1993年に「はくつる」に移行し1994年で廃止となりました。経路が変わりながらも、30年近く上野ー青森間を駆けた名列車でありました。

KATOが専用編成を製品化

24系24形とEF80

KATOが20系と24系24形の両編成を製品化しています。
583系のイメージも強いですよね・・・お気に入りの1編成を是非入手されてください。
当区には、24系24形と25形、583系の3編成が稼働しております(笑)
25形は勝手に「さよなら ゆうづる」と命名し、TOMIXの「北斗星」増結用のオハネ/オハネフを中心にカニとオロネをバラし品で入手し組成しました。数日後には「北斗星」になる編成ですから、なんだか感慨深いですね。

牽引機は、EF80・EF81・ED75など各種揃えていますが、EF80以外はTOMIX機です。客車とのペアリングは時代設定によりますが気分次第となっています(笑)

寝台列車ですから室内灯は必須アイテムとして搭載し、25形編成には室内のカーテンを仕込みました。隙間から漏れる室内灯の灯りがなんともいい感じなのです。

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24系25形(後の「北斗星」)とEF81

これほどまでに旅情を感じさせる列車がありましたでしょうか。
東京口の九州ブルトレには華やかさで負けるかもしれませんが、数あるブルートレインの中でも抜群の存在感だったかと思います。移動手段として考えれば体力的に大変なことだったかと思いますが、旅として考えてみれば最高の思い出となったでしょうね。

寝台特急「はくつる」とともに夜の東北路をひた走る2大スターとして君臨しましたね。この2列車の愛称に「鶴」がつくのは、北海道連絡列車としての使命が込められており、北海道のタンチョウのイメージを含めたのでしょう。深いですね・・・

今回はこの辺で・・・
次回もお楽しみに~

コメント

  1. クモハ489-901 より:

    こんにちは。
    石川さゆり、「津軽海峡冬景色」の唄い出しの列車に最適ですね。(笑)
    東京から西へ向かう寝台特急は、どちらかといえば、少しビジネスが絡んでいるようなイメージですが、上野から北を目指す列車は、何か
    「寒い」イメージですね。「北斗星」がデビューして
    「寒い」のイメージは払拭されましたが、
    みちのくを目指す列車は、九州を目指す列車よりも、ふるさと感が濃いですね。
    東北寝台特急にも、かつては食堂車が連結されていたと思いますが、北斗星が見事に食堂車の存在を復活させてくれましたね。
    ゆうづるエボリューションが、北斗星だったとは…。生い立ちを紐解くとおもしろいですね。

    • クモハ489-901さま

      おはようございます
      コメントありがとうございます

      北へ向かう列車は地元や故郷を思い出させるのか、
      仕事というよりも帰るイメージになってしまいます。
      「北斗星」の登場によって出掛けるイメージになった気がします。
      「ゆうづる」「はくつる」の使命は大きかったんですよ~